被災地、岩手県宮古市支援報告

 
写真は岩手県宮古市でボランティア活動に取り組む皆川さん(広島市東地区委員会のブログから)

日本共産党広島県委員会副委員長の皆川恵史さんから活動報告が届きましたので紹介します。

日本共産党広島市東地区委員会「日本共産党広島県委員会」のブログで、宮古市への支援の取り組みを

詳しく紹介しています。


2011年 7月18日 「立党の精神」で被災者と響きあった3日間 広島県委員会  皆 川 恵 史

広島県からの第7次救援ボランティア4名は、全県から寄せられたお米、衣類などの物資を積み、7月14日午前

9時30分、広島東地区委員会前での出発式を終えて、一路、岩手県宮古市へと出発。途中、新潟県柏崎刈羽原発

見下ろす米山SAで野宿し、翌15日午後3時すぎ、党宮古地区委員会に着きました。

延々30時間、日本列島がかくも長かったのか、やっと着いたー!!の思いでした。長旅の疲れもありましたが、一方で、

3中総で言われている「日本の政治のあり方の根本」が問われている大震災復興の最前線にいよいよ到着したのだと、

身の引き締まる思いでした。

宮古市議で宮古地区委員長の田中さん、中国ブロックから常駐している内山さんから説明を受けました。

宮古市では、仮設住宅の建設が急ピッチで進められており、入居希望者約1800名に対し、2000戸分が

建設されつつあり、今月中には、全希望者にカギが渡される予定とのことで、先ずは、被災者の生活再建の第一歩と

なる「住まい」の確保は、ほぼメドが立った状態となっています。しかし、当面の「住まい」は確保できても、

多くの被災者が、なお心身ともに苦しみの淵にあり、依然として先の見えない不安のもとに置かれているとの

説明でした。

 私たちの活動は、宮古市のなかで最も壊滅的被害を受けた田老地区の方々が入居されている仮設住宅を直接訪問し、

要望を聞いて回る活動です。

翌日から、さっそく活動開始。

仮設住宅団地(122戸)入口に着くと、さっそく、入口のベンチに座っておられた7〜8人のお年寄りの皆さんと対話。

日本共産党のボランティアです。やっと住むところができてよかったですね。住んでみて、いかがですか?

何か困っていることはありませんか」と切り出すと、「日本共産党か、何か、いい話しがあるんだべか」

「困っているのは、お金がないことだわね」等々、のっけから話しがはずみ、みなさん気持ちよく対応していただき、

ホッとしました。

仮設住宅で最高齢93歳のMさん(男性)は、昭和8年の大津波にも合い、今回で2回目、2回とも、津波の後の

火災で、家も全焼したとのこと、頭も体もシャンとした方で、長年ワカメ養殖の仕事をしてきて、今は、奥さんと

二人で入居、近くの山から、松や杉の苗木を掘ってきて、住宅の前のわずかな土に移植して、毎日水をやり大切に育てて

おられます。「ワシらはエエが、舟流された若い者がかわいそうじゃ」と嘆いておられました。

81歳のIさん(男性)は、震災前に奥さんを癌で亡くし、今は、50歳の娘さんと2人で入居、自身は障害3級、

娘さんは障害1級で、週3回、宮古市の病院に人工透析に通院していますが、「バス停まで、歩くのがしんどい、何とか、

この仮設住宅入口までバスが入ってもらえないだろうか」とおっしゃっていました。

こういうかたちで、私たちは、2人1組で、122戸の仮設住宅を軒並み訪問して歩きました。

どの家も1軒1軒が、大津波から恐怖の避難行の経験をされており、自宅も財産も一瞬のうちに流され、体1つで

逃げのびた方ばかりで、その話しを聞きながら、今、どんなにつらい思いでおられるのだろうと、身につまされました。

そういう人たちにとって、ただ1つの救いになっているのは、「隣近所みんな顔見知り」の人ばかりということです。

「みんな知り合いだから、声をかけ合い、つらい思いも分け合うことができる」と異口同音に語っておられました。

田中地区委員長の話では、「宮古市では、被災者を抽選でバラバラにせず、できるだけ集落単位で入居できるように

配慮している」とのことでしたが、このことが、どんなに被災者の心の支えになっているかが分かりました。

今後、災害復旧を考えるうえで、大切な教訓にしてもよいことだと思いました。

私たちが回ったなかで、たくさんの要望が寄せられました。その主なものは、

・ 雨よけのヒサシが短く、玄関に靴が置けない。雨よけを付けて欲しい。

・ 玄関ドアに網戸があれば、風が入って暑さをしのげる。今は、虫や蚊や大きな蟻が入ってくるので開けられない。

・ 通路が砂利道で、手押車や自転車は難儀する。簡易舗装して欲しい。

・ 防災無線が遠くにあって殆ど聞きとれない。近くに設置して欲しい。

・ 部屋の床が堅くて疲れる。畳を敷いて欲しい。

・ その他、お米、自転車、扇風機、Lサイズの婦人服など、物資の要望も数多く寄せられました。

こうして、訪問活動のなかで寄せられた要望は、その日のうちに報告書にまとめ、それをもとに3人の市会議員をはじめ、

地元の党組織が敏速に対応して、被災者に返すようにしています。

全国からのボランティアと、現地の党が連携して、被災者の救援にあたる、こうした活動は、「国民の苦難の解決」と

いう立党の精神で結ばれた日本共産党員だからこそ出来る活動であり、まさに、我党の真骨頂が発揮される活動です。

私たちは、わずか3日間ではありましたが、こうした活動に参加して、あらためて日本共産党員としての誇りを

強く感じました。そして、我党のこの立党の精神が全くの飛び込み訪問であるにも関わらず、被災者のみなさんと心が

通じ合う力となり、響きあった3日間でした。疲れはありますが、充実した3日間でした。

帰広したら、この経験を生かし、3中総の全面実践のために頑張りたいと思います。

宮古のみなさん。これからも心一つに頑張りましょう!