岩手県宮古市への支援  藤本聡さんから第一報

 
 17日に、たくさん集まった支援品を仕分けして車にすべて載せ込み、集まった人で出発式をしました。

 22才の青年と私は、18日の朝7時から広島を出発して、1500キロの道のりを運転して、19日にがやっと宮古地区にたどり着きました。高速道路を乗り継ぎ、途中の合津若松で宿泊して盛岡南インターにつくと、頑張ろう東北の布が料金所に貼ってありました。

 19日、現地には中森副委員長はすでに着いており、少しして安佐南区からのボランティアの岸本さんも列車で到着しました。
 
 宮古地区では、島根県オルグの方が受入れ事務をしてただき、鳥取県から4人、岡山県から2人の支援人が相次いで到着。広島県の4人とあわせて10人がボランティアとして一緒になりました。

 党地区委員長で市議の田中さんが受入れの説明をしていただきました。宮古市ではすでに死者418名、行方不明は現時点でも134名、全壊戸数1600戸を含む4675戸が被害を受ける大災害となりました。

特に最近合併した田老町では、明治、昭和、平成と3回も大津波の被害を受け、そのたびに町全体が壊滅的な被害を受ける結果となりました。

 受入れと、宿舎の手配の後、さっそく被害のひどかった漁港周辺を見学しましたが、夕方のため写真を撮ることができませんでした。