半生振り返り考えてみると
日刊「しんぶん赤旗」7月15日付け「読者の広場」に、広島市安佐南区在住の
村田眞さん(76歳)の声が掲載されています。
「爆心地から南へ350メートルの商家に生まれ育った私は、現在の平和公園
南入り口付近の無得幼稚園に一年間通いました。
1941(昭和16)年からは袋町国民学校へ。その年の12月、太平洋戦争の
開戦を校長が話したのを覚えています。
楽しかった学校生活に影がさしだしたのは3年ごろからでした。
避難訓練では西校舎の地階で両手で目、耳、鼻をふさぎ、うつぶせにさせられた
のです。4年の終わり、とうとうチリヂリバラバラにさせられ、強制疎開は県北の
父の故郷へ。
報道管制のため8月6日は何が起こったか知られませんでした。15日昼過ぎ
帰宅した私は、東洋工業で学徒動員中、被爆した姉に敗戦の事を知らされました。
「おとなや先生はうそばかり言って・・」というのが、それを聞いた時の私の感想です。
追い打ちは教科書の黒塗りでした。
その後、27歳の時、大先輩に勧められ、「赤旗」を読み始め、まもなく50年。
考えてみると、この新聞に多くのことを教えられ、励まされて現在まで生き続けて
来られたのだと思えてなりません。」