多喜二 命日 関連報道 

蟹工船・党生活者」で若者も知っている小林多喜二さんが無くなり80年たちました。

一般新聞でも関連記事が報道されていますので紹介します。

東京新聞20日付け  一面「筆洗」 

昭和五年八月から翌年一月まで、東京の豊多摩刑務所に収監されていたプロレタリア作家の

小林多喜二は、私淑していた志賀直哉に手紙を送っている

▼「この太陽の明るさは! それはまるで、北海道の春か十月頃をしか思わせません」。

東京の冬の日差しに驚きを隠さず、出所したら「必ず一度お訪ねしたいと思い、楽しみに

して居ります」とつづっていた

▼出獄後、多喜二は奈良に暮らす志賀を初めて訪ねている。地下活動に入った多喜二は

その一年三カ月後、築地署で特高の刑事から拷問を受け死亡した。志賀は多喜二の母親に

悔やみ状を書いている▼<前途ある作家としても実に惜しく、又お会いした事は一度で

ありますが人間として親しい感じを持って居ります。不自然なる御死去の様子を考え

アンタンたる気持になりました>。

悔やみ状は雑誌『文化集団』に掲載されたが、検閲によって<不自然なる>の部分は

伏せ字にされた(梯久美子著『百年の手紙』)▼多喜二が亡くなってからきょうで八十年。

特高警察が共産主義者の作家を虐殺した事件は、たった八十年前のこの国で起きた出来事なのだ

▼若者の非正規雇用が増え、新たな貧困問題が社会問題になった二〇〇八年には、

代表作の『蟹工船(かにこうせん)・党生活者』(新潮文庫)が五十万部を超える

ベストセラーになった。多喜二は今こそ、読む価値のある作家だ。