「さよなら原発」・・地球と人類を救おう 参加者の感想

(少し長いですが・・)
 作家の大江健三郎さん、澤地久枝さんら著名人九氏が呼びかけた「さよなら原発集会」は十九日、

東京・明治公園で開かれ、全国から六万人が参加しました。「さよなら原発安佐北区民の会」

結成準備会はこの集会と、福島県の地元調査に、松本真、鈴木良孝両幹事を派遣しました。

◎「若い者はみんな子どもを連れて出ていきました」――南相馬市の商店
 
 東京電力福島原子力発電所放射能被害を受け続ける福島県南相馬市は、県都福島市から

バスで約2時間、山を越え南相馬市に入ると窓からはなだらかな丘、刈り取られた田んぼ、

ひまわりを植えられた畑、のどかな農村地帯が広がります。

市の中心部のバス停に降りて目の前の食料品店で道を訪ねました。その店は70歳前後と

みられる夫婦が経営しているようで、親切に対応してくれました。そして女性は近所のお年寄り

たちと明るく笑って話していました。

 私は、お礼におにぎりとお茶を買い、「地震原発事故で大変だったのでしょうね」と

声をかけて広島から来たことを告げました。すると明るい女性の顔に暗い影が走り、

「この辺の若い者は、みんな子どもを連れて出て行きました。

残っているのは、いつ死んでもいいと覚悟を決めた年寄りばかりです」「店も次々と閉めて、

さみしくなってしまいました」「早く家族と暮らしたいですよ」と堰を切ったように語りました。

思いがけないレジの女性の言葉に、私はなんと言っていいのかわからず、唇が震えていました。

◎被災者のあきらめきれない思いがこめられた「伝言板」――南相馬市市役所

 市役所を訪ねると入り口のホールに、移住していった人たちの様子を知らせる写真や手紙、

全国からの激励文などが壁いっぱいに張り出されています。そしてひときわ目を引くところに

建てられた掲示板には、尋ね人や避難先、消息を知らせる手書きの紙が、いくつも貼られていました。

電話やメール、ファックスもある時代にまだ「伝言板」がと一瞬思いましたが、メモにはあきらめ

きれない被災者の思いが込められており、地震原発事故の深刻さを改めて感じさせられました。

裏口に回ると掲示板に、飼いイヌやネコなど「訪ねペット」の写真や特徴を書いたメモが張られており、飼い主の愛情が

伝わってきました。

 災害対策本部の若い職員は「南相馬市はごく一部の強制避難区域(20キロ圏内)を除いて、

大半が避難を住民の自主的な判断に任されています。そのため仮設住宅に入居することも出来な

いし、転居の費用の補償もありません」と話しました。

それでも若い人は将来のことを思って、転居するのだそうです。市役所の外に出ると台風の

前ぶれの雨と風が強まっていました。

◎住居を転々と「被曝しても、もう家に帰りたい」――福島市仮設住宅
 
 福島市では、仮設住宅で医療生協支部の主催する交流会が開かれていると聞いて参加させて

もらいました。広島から来たことが紹介されると、「あなたがたはもっとつらい思いをされたん

でしょう」と原発事故被災者が話しかけてきました。

 飯舘村から来たという女性は「県の職員や学者や話を聞きましたが、それぞれ言うことが

ちがって、なにを信じていいかわかりません」となげき、大熊町から来た男性は「新潟の避難所、

会津の親戚、米沢の温泉施設を転々としてここの仮設に落ち着きました。でもこんな暮らしは

もうたくさん、被曝してもいいから家に帰って畑を耕したい」と声を詰まらせました。

私は「みなさん同じ被災者ですからよく話し合って団結して、医療生協によく相談して、

がんばってください」と励ますのが精一杯でした。それでも終わりには手拍子で歌を歌い、

手遊びをして明るい表情を取り戻していました。

被爆ヒロシマの蓄積を生かして福島の被曝者救援をーー福島県

 広島市西区の「福島病院」で院長をしていた斉藤医師を福島市の「わたり病院」に訪ねました。

斉藤医師は広島で被爆者医療に当たってきた経験が注目され、治療の外にテレビ、新聞、講演と

大忙し、一躍地元の有名人になっているようでした。それでも「なつかしいなー」と喜んで迎え、

ヒロシマは原爆の短時間高放射能被曝だったが、福島は低放射能・長期間被曝、これは症状

出るまでの潜伏期間が長い、十年以上にも及ぶことが予想される」と述べました。

 福島県庁を訪れると担当者は東電の賠償問題で大忙し、健康被害調査については始まった

ばかり、将来の被曝者救援対策などについては全く手が付けられていていない状況でした。

 ヒロシマが築いてきた被爆者医療、被爆三法を始めとする諸制度、被爆者救援運動などの

経験は、福島の被曝者にとって必ず大きな力になるであろうと確信しました。

◎草の根の運動に確信強めた「さよなら原発集会」――東京・明治公園

 作家の大江健三郎さん、澤地久枝さん、経済評論家の内橋克人さんら著名人九氏が呼びかけた

「さよなら原発集会」は十九日、東京・明治公園で開かれ、全国から六万人が参加、会場の外まで

あふれました。大江健三郎さんらよびかけ人、福島県の代表らは次々、原発と人類の未来が共存

できないことを訴え、会場は大きな拍手と熱気に包まれました。

 おとうさんの肩車に乗った男の子が「もうやめて。ぼくの頭に放射能」と書いたプラカードを

高々と掲げて行進して行きました。手をつないだ若いアベックのそろいのティシャツの背中には

原発は愛も地球も救えない」と書かれていました。行進はどこでも拍手や手を振って迎えられ、

東京の街が心をひとつにしているようでした。そして私たちの「さよなら原発安佐北区民の会」

結成準備会の運動が、被爆ヒロシマの草の根から、ここに合流していることに確信を強めました。
                   
                                              (文・松本 真)