岩手県宮古市から  大西オサムさん

大西オサムさんのブログが再開しましたので紹介します。以下ブログから・・。
 
 再び9月20日から10月初旬までの約2週間、日本共産党宮古地区ボランティアセンターの

活動に参加することになりました。 盛岡に降り立ったのは9月19日。

 私の第一声は「寒っ!」でした。広島とは全然違う寒さ。ジャージ上下持参してよかった!

 数日前の新聞記事「『寒っ』『すごっ』数年で急速に広がる 国語世論調査」を思い出し、

ニガ笑いです。

 http://www.asahi.com/edu/news/TKY201109150494.html

 20日午前に宮古地区委員会着。田中委員長、落合副委員長、里木勤務員らと再会をよろこび

あいました。


4か月ぶりなのですが、別れたのはずっと昔のよう。「避難所」から今は「仮設住宅」へ。

 前回、5月に来た時と大きく違う点は、避難所にいた被災者は、8月末で避難所はなくなり、

仮設住宅に移っていたという点です。

 ブログでは5月に来た時との違いや支援活動の課題、そして現地の生の声、日本共産党議員や

支部、党ボランティアセンターの活躍などについて紹介していきます。

宮古市消防団義援金届け懇談

 20日、田中地区委員長と私、鳥取の富谷さんで党中央委員会から託された義援金

宮古市消防団に届け懇談しました。

山下修治消防団長と副団長ら5人が応対。

 冒頭、田中党宮古地区委員長が「消防団員のみなさんは、震災が起こると同時に命がけで

津波が来る方向に向かい住民を避難誘導されました。心から敬意を表します。」とあいさつし、

党中央委員会からの義援金の目録を山下団長に手渡しました。

 山下団長は「全国の皆さんから共産党義援金が寄せられたと聞いています。本当

礼申し上げます」と前置きし、震災直後の団員の活動を紹介してくださり、「災害時活動手当て」

改善を要望されました。

 震災の救援活動で団員17人が犠牲になったそうです。そのことを私たちは忘れてはなりません。